脱原発アクション報告
ストップ再処理2011 脱原発宣言
2011年9月19日(月祝)、10時より日本教育会館一ツ橋ホールで開催された「六ヶ所再処理工場」に反対し放射能汚染を阻止する全国ネットワーク「ストップ再処理2011 脱原発宣言」に参加しました。会場は800人入る会場でしたが、満席でした。
開会挨拶後、原子力資料情報室 澤井正子さんの講演「脱原発社会への道すじ~福島第一原発事故から私たちは何を学ぶのか~」で始まり、①福島第一原子力発電所冷却材喪失事故の概要では、今溶けた核燃料がどこにあるか誰もわかっていない。事故をどうやって収束できるのかわからないのが現実。15日にイギリスからガラス固化体が76本六ヶ所に輸送されてきた(日本の原発の使用済み核燃料をイギリスで再処理した際に発生した高レベル放射性廃棄物のガラス固化体が青森県六ケ所村のむつ小川原港に到着)。エネルギーとして利用されているのは1/3だけでの100万kwの原子力発電所は200万kwの熱を海に捨てているのは驚きました。②放射能放出と汚染・被ばくの状況では、フランス原子力機関が福島のセシウム放出のシミュレーションを放射性物質は風にのり太平洋に流れているが、もし原発銀座の福井県の若狭で事故があったら東日本は全滅で京都・奈良は立ち入り禁止・・・ゾッとしました。原発労働者(嶋橋伸之さん)の被曝線量の例をあげ18歳で浜岡原発で10年間働いて約51ミリシーベルト浴びて慢性骨髄性白血病になり亡くなる→ 福島の子どもたちが1年間に20ミリシーベルトというのは、嶋橋さんの年間5ミリシーベルトで発症と比べるといかにとんでもなく危険な数値であるか!③原発に頼らないエネルギー政策では、現在54基の原発があり、この夏2/3は停止と定期点検だったけれど15%節電出来たこの事実は原発が無くても暮らしていける証拠だと思います。
その後、5名のリレートークがあり、中でも高橋徳治時商店の高橋英雄社長の話、鬱と躁と攻撃的になるのと繰り返しているそうです。知り合いが自殺、首を吊って自殺したと。5月に同級生が自殺している。梯子を蹴飛ばしてやったのですがかなり苦しんだようで、足を組みながらぶら下がっていたという…。それから近くの仮設住宅では、これも60歳代の男性が、刃物で腹部を切って自殺していた。入り口に血だらけになって倒れていて、しかも一週間誰もわからなかったという仮設住宅の事故、事件。
「今のうちまだ体験出来るのでおいでになってください。あまりのギャップに皆さんびっくりします。波でさらわれたところは草が生えています。背丈以上の草が生えている。今取り壊すところは、ま、草が生えてない、空き地になっています。まだ傾いた家、ヘドロもとってないうちがいっぱいあります。忘れてほしくない。」メディアでは取り上げられることが少なくなっていますが、現状は厳しいものです。
その後、グリーンコープ共同体代表理事の提案により阻止ネット脱原発宣言採択がありました。「私たちは痛恨の思いで放射能汚染の現実を見据え、このような悲惨な原発事故を絶対に二度と繰り返さないために、『脱原発』を阻止ネットの活動目的としてはっきりと掲げます」
(抜粋)
さよなら原発1000万人アクション「さよなら原発5万人集会」パレード
「ストップ再処理2011 脱原発宣言」終了後に明治公園へ場所を移し、さよなら原発1000万人アクション「さよなら原発5万人集会」パレードに参加しました。生活クラブ茨城からの参加者は、牛久ブロック9名、取手ブロック7名、県央ブロック3名、事務局2名の合計21名。お昼御飯は途中の集合場所絵画館前でおにぎり等の軽食で済ませ、午前中の集会に参加した集団で移動。明治公園は、人、人、人。13時からのオープニングコンサートや13時30分からの集会(著名人による発言)は、ほとんど聞こえませんでした。主催者発表では6万人。
14時過ぎからのパレードは3コースに分かれて行いました。生活クラブは新宿コースでした。シュプレヒコールを繰り返し、明治公園→外苑通り→新宿通り→新宿南口→代々木第3児童公園で流れ解散。私たちは前の方にいましたが、解散後もまだまだパレードは続いていました。牛久からの参加者で約14,300歩、パレードは8,000歩くらい。
日本のメディアの取り上げ方が少なかったのですが、イタリアやフランス等でもネット配信するなど大きく取り上げられていました。落合恵子さんのブログ(9月19日付)では、本人が発言されていた内容が掲載されています。他単協も多く参加していましたが、旗が同じだったので、「茨城」と書いてあると見つけやすいと思いました。たくさんの人たちと共有できた1日でした。